泊まれなかった『お泊まり保育』 園長先生がしゅんちゃんと呼ばれていた頃 その8

5年ぶりのシリーズです。2才になる春に幼稚園に入園(今でいう1才児)したボク。姉の在籍するクラスに入れてもらい、毎日幼稚園に通っていました。発表会の舞台に上がる写真は頭一つ分ガクッと下がっていてカスタを持つ写真が残っています。

当時はゆるやかな時代で、園長だったおじいちゃんに「幼稚園に来るなら来ていいよ」と許してもらっていたのだと思います。1才児のさくら1組の子が年中のばら組に入るような状況だったので、周りのお兄さん、お姉さんにかわいがられて生活をしていたんだと思います。

幼稚園が大好きだったボクにもとても苦手なものがありました。それは『お泊まり保育』。幼稚園生活で計5回のお泊まり保育に参加したわけですが、カレーを食べたり、すいか割りをしたり、映画や花火を見るという楽しいことの連続でお泊まり保育のいくつかの場面が今でも蘇ってきます。

最難関は夜でした。パジャマに着替えて、布団を敷き詰め、タオルケットを掛けて保育室が暗くなり、そろそろみんなが寝静まった頃、シクシクとなり「ママがいい!」と先生方を困らせて、困った先生方は母親に連絡をして途中離脱したのです。当時幼稚園は3階建てで、3階にボクたち家族が住んでいたので、深緑色の螺旋階段を上るとそこが自宅という環境もありました。

何回かお泊まり保育を経験していよいよ年長のお泊まり保育。「しゅんちゃん、今年は泊まろうね」といういろんな先生からのプレッシャー。ボク自身も「今年こそ」という気持ちで臨んだのですが、、、。ボクは寝るとき母親の手の爪をコネコネしないと眠れない子だったのです。先生の爪ではやっぱりダメで。

翌朝、目が覚めたボクは園庭が賑やかなことに気づき、深緑色の螺旋階段を降りて石の階段を降りて、うめ組の下駄箱へ行き、運動靴に履き替えて園庭で遊ぶ友だちと合流しました。下駄箱から園庭に向かって走る映像と共にあの気まずさ、親元を離れ泊まることができなかった不甲斐なさがいつもボクにはあります。

毎年行われるお泊まり保育。ボクは翌日の朝の子どもたちの顔が大好きです。朝日に照らされキラキラしている仲間と共に一晩を過ごした自信に満ちあふれる顔。ボクにはできなかったことを全員で達成した姿は惚れ惚れします。それを一晩中、寝ずに支えてきた先生方に感謝する朝。

いよいよ明日がお泊まり保育。保護者の皆様、説明会に参加したり、お子さんと一緒に荷造りをしたりと準備の面でも子どもたちの気持ちの面でもこれまでありがとうございました。大人になったボクは相変わらず夜は戦力外(緊急時対応以外)ですが、一晩お預かりします。

1学期も今日で終わりです。わずか数ヶ月ですが子どもたちの成長には目を見はるものがあります。夏休み後、みんな揃って2学期を迎えたいと思います。
怪我や事故に気をつけてご家族で素敵な夏休みをお過ごしください。

園長 西山俊太郎

昭和40年代の発表会